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ビスミッラー
アフマド・イブン・ハンバルは誰でしたか?
「アフマド・イブン・ハンバル」アラビア語で「アフマド、ハンバルの息子」と言う意味です。
彼は偉大なイスラーム学者でした
彼は「アフル・アッ=スンナのイマーム」と呼ばれています。
「アフル・アッ=スンナ」は預言者ムハンマドﷺスンナを従う人々って近い意味*
彼はヒジュラ暦164年に生まれ、アッラーをたくさん礼拝する人の一人でした。
彼はハディース(預言者ムハンマドﷺの言行って近い意味)について非常に深い知識を持ち、多くのハディースを記憶していました。
また、フィクフやアキーダ(信仰)にも精通していました。
彼の生きていた時代には「クルアーンが創造されたものである」とする誤った信念が政府によって広められ、支持されていました。
この信念はクフル(不信仰)です。
なぜなら、私達ムスリムはクルアーンが100%アッラーの言葉であると信じなければダメだから。
つまり、私達がサラー(礼拝の種類)でクルアーンを朗読する時、私達は実にアッラーが言った言葉を読んでいるのです。
これはアラビア語でمحنة القول بخلق القرآن 「ミフナト・アル=カウル・ビ・カルキ・アル=クルアーン」とよばれています。
日本語で「クルアーンが創造されたとする主張の危機」って近い意味です。
話を戻すと、その時代、アフマド・イブン・ハンバルはその誤った信念に立ち向かい、そのために厳しい罰を受けました。
彼は牢獄に閉じ込められることさえありました。
しかし、彼は正しい信仰を捨てることはありませんでした。
そして、アルハムドゥリッラー、その危機は解決されました。
アフマド・イブン・ハンバルは多くの素晴らしい書物を著しました。
その中のいくつかは:
كتاب الزهد キターブ・アッ=ズフド
الرد على الزنادقة والجهمية アッ=ラッド・アラ・アッ=ザナーディカー・ワ・アル=ジャフミイヤ
مسند أحمد ムスナド・アフマド
アフマド・イブン・ハンバルの「アブドッラー」と言う息子も偉大な学者でした。
その息子も素晴らしい本を著しました。例えば、キターブ・アッ=スンナ كتاب السنةです。
アフマド・イブン・ハンバルはヒジュラ暦241年に死にました。